血脈相承 (日蓮正宗) (Kechimyaku Sojo (Nichiren Shoshu sect))

血脈相承(けちみゃくそうじょう)は、仏教で師から弟子へと法 (仏教)が伝えられることを指す。

日蓮の相承宣言

宗祖日蓮は自らを、『妙法蓮華経』の如来神力品第二十一において、結要付属(けっちょうふぞく)を直授された上行菩薩の再誕であると宣言(『文永11年12月の万年救護本尊』脇書、1274年。
その他典拠多数)。

また併せて、真言密教の「大日如来より日蓮に至る二十三代嫡々相承」までも受けたと主張(『不動・愛染感見記』)。

なお、醍醐寺の『理性院血脈』の記(金沢文庫蔵)には、確かに25番目に「日蓮」の名があり、大日如来とこの「日蓮」の間は二十三代となって符合するのだが、この『理性院血脈』の「日蓮」と宗祖が同一人物であるかどうかは定かではない。

教団での位置付け

以来、唯授一人の血脈相承(ゆいじゅいちにん の けちみゃくそうじょう)が、日蓮正宗の正統性を主張し、また、時の法主による広宣流布指揮の絶対性、教義論争裁定・本尊書写・各種称号授与の専有性を保障するものとして、法主から次期法主へと伝えられている。

「物体として捉える事が出来ない種々の要素(信仰態度や霊性、累積された功徳など)が、金紙や口伝によって相続される」などと、神秘化して考えられる場合が多い。

しかし、血脈相承の最重要の根幹は「本門戒壇の大御本尊」授受の一点のみに存する、とのシンプルな捉え方も一方にある。

血脈相承は時と場合により、当分の間は公表しない内証形式がとられることがある。
過去には3祖日目から4世日道へ、66世日達から67世日顕への相承が内証形式で行われたとされるが、日顕への相承については否定する者もいる。

日蓮正宗と日蓮宗の論争

日蓮正宗では日蓮-日興-日目以降の歴代大石寺住職のみに伝わるとしている。
しかしながら、日蓮宗サイドでは、下記の理由を根拠にこれを否定している。
日蓮正宗の主張が真実なら、宗祖の本弟子六老僧の中で後に反・日興となった五老僧は全て謗法化した人物ということになるが、なぜ宗祖は、彼ら五人の謗法化を予見することもできずに本弟子として認めたのか。

日蓮正宗の主張の根拠である「池上相承書」「身延相承書」の二箇相承は、興門流の初期の記録には存在しないから偽書である。
身延相承の日付けと日蓮の行動が一致しないから偽書である。
二箇相承は日興が日目に譲った大石寺ではなく、日興が晩年隠居した重須談所(現在の北山本門寺)に保管されていたとされる文書である上に、原本は現在では行方不明であるから論議の対象にすらならない。

なお、二箇相承の原本の所在については、下記のような説がある。
武田勝頼軍の略奪に伴い完全に紛失した。
徳川家康が二箇相承真筆を披見した記録があるから紛失説は誤りで、実は北山本門寺が秘蔵・隠蔽している。

北山本門寺

北山本門寺では、伝統的に言っても、血脈相承というもの自体を極めて軽視してきた。

まずその出発点からして、日興から重須を譲られた日代は、一山大衆の手によって追放の憂き目に遭っている。
当然、日興から日目への血脈相承も認めなかった。

さらに現在では、二箇相承も否定して、ひたすら「日蓮宗大本山」としての地位の保全に努めている。

西山本門寺

西山本門寺では、日興から日目への血脈相承を認めず、『八通譲り状』を根拠に日代正統説を立てて分派。

保田妙本寺・小泉久遠寺

保田妙本寺・小泉久遠寺では、日目から日道への血脈相承を認めず、日郷正統説を立てて分派。
昭和32年、大石寺に一旦は帰属したが、創価学会と宗門の争いを見て、平成になって再び独立した。

要法寺

京都要法寺では、初代日尊の時代には、日目から日道への血脈相承も認めていたし、江戸時代には大石寺の最有力の末寺として9代連続で法主を輩出したこともあった。

しかし、長い年月の中で徐々に独立的傾向が高まっていき、遂に血脈相承を否定して大石寺との本末関係を解消するに至った。

現在では「日蓮本宗」の本山として自立している。

正信会

正信会では、1980年の僧侶5名擯斥処分直後に、日達から日顕へ血脈相承した形跡がないので、管長の資格が無いとして、管長地位不存在確認を裁判所に提訴した。
以後、日顕及び日蓮正宗への攻撃材料として様々な側面から日蓮正宗の血脈相承を否定。

なお、裁判自体は正信会による寺院占拠問題と同じように、信仰次元の問題なので、裁判の対象ではない。として棄却された。
(いわゆる部分社会論の法理として有名な判例)

また、最近、一部僧侶が日達から日顕への血脈相承があったと発言している。
当人によれば、実際にはあったが、攻撃材料としてなかったことにしようというものである。

創価学会

創価学会では、1991年の破門以降は、血脈相承はとうの昔に切れていると主張している。

冨士大石寺顕正会

冨士大石寺顕正会では、1999年4月12日の本部指導会以降、正信会の主張に相乗りする形で、教義変更の仏罰で日達は急死したため、血脈相承を誰にも授けられなかった。
日顕は、血脈相承を受けてないのに受けたと詐称して登座した。と主張し始めている。

[English Translation]