奈良ホテル ({{engl}})

奈良ホテル(ならホテル)は奈良県奈良市高畑町にある、1909年(明治42年)10月に営業開始した老舗のホテルである。

概説

荒池の畔の小高い丘にある、大乗院跡地に建っており、興福寺、奈良公園などの観光地にも近い。
本館の建築は辰野金吾・片岡安による設計で桃山御殿檜造りの木造2階建て瓦葺き。
創業当時のものである。
かつては国営(鉄道省直営)で関西における迎賓館的役割をになっていた。
今日でも著名人が多く宿泊し、皇族の奈良宿泊の際にはこのホテルが利用されることが専らである。
廊下には上村松園、前田青邨らの絵画が飾られている。

当初は暖炉を暖房に用い、屋根に多数の煙突が設けられていた。
大正時代にスチームヒーターを導入した際にこれらの暖炉は廃止され、煙突は撤去されたものの、ロビーをはじめ各所に設けられていたマントルピースは現在に至るまで存続している。

1945年の終戦後、一時連合軍に接収された際に、白木仕上げの内外装が不潔であるとして、米兵によって全館ペンキ塗り潰しにされかかったが、当時の支配人の必死の説得で欄干など直接手が触れる部分のみ朱塗りとすることで本体を守った、というエピソードがあり、1960年代末までは内装の間取りの変更はあったものの、概ね創建当時の姿を保っていた。

その後、1970年に開催された日本万国博覧会に備えて収容力の拡大を図るべく、本館食堂の南側に高層ビル形態の新館建設を計画し、基礎工事まで済ませたが、景観保護にかかる諸条例の規制区域であったため、これは中止となり、その基礎を生かして近代的な外観の半地下式グリルが新設され、これに伴い不要となったラウンジが撤去されるに留まった。

この際、当初計画に対する収容力の不足を補うため、同時期に建設が計画された近鉄奈良駅ビルの上層階を別館として1970年に営業開始したが、これは1984年のわかくさ国民体育大会、および1988年の「なら・シルクロード博覧会」の開催を控え、1984年に本館の建つ高台の南側傾斜面を削り込んで埋め込む形で鉄筋コンクリート造りの新館を国鉄の設計による吉野造りで建設したことでその必要性が大幅に低下し、「なら・シルクロード博覧会」閉幕後もしばらくは営業を続けたが、結局1991年にこの別館は閉鎖されている。

現在は株式会社奈良ホテルが経営しており、資本金は4億円。
うち西日本旅客鉄道株式会社が50%、都ホテルズリゾーツが50%出資する。
このため、JR西日本、近畿日本鉄道の両系列下にあり、JR西日本ホテルズと都ホテルズリゾーツ両方に加盟するホテルである。
これは、関西本線の前身に当たる私鉄の関西鉄道が土地を取得してホテルを建設し、京都の都ホテル(現・ウェスティン都ホテル京都)が運営に当たっていたためである。
1983年に会社を設立し、当初は日本国有鉄道と都ホテルの共同出資でスタート、後に国鉄出資分はJR西日本に、都ホテル出資分は近鉄ホテルシステムズに引き継がれた。

本館においては新館完成後も従来の調度品が修理を重ねつつ長く使用されてきたが、2006年に寝具や家具、それにエアコンの全面的な更新が実施され、面目を一新した。

宿泊した著名人

宿泊した海外の著名人
セルゲイ・プロコフィエフ 1918年(大正7年)5月19日~27日 ロシアの作曲家
バートランド・ラッセル 1921年(大正10年)7月19日 イギリスの数学者
アルベルト・アインシュタイン 1922年(大正11年)12月17日、18日 物理学者
エドワード8世 (イギリス王) 1922年(大正11年) 英国王(当時は皇太子)
グロスター公 1929年(昭和4年) 英国王子
チャールズ・リンドバーグ 1931年(昭和6年) アメリカの飛行家
愛新覚羅溥儀 1935年(昭和10年) 満州国皇帝
ホセ・ラウレル 1945年(昭和20年) 元フィリピン大統領 亡命の為に2ヶ月間滞在
ヘレン・ケラー 1948年(昭和23年) アメリカの社会福祉事業家
オリヴィエ・メシアン 1962年(昭和37年) フランスの作曲家
イヴォンヌ・ロリオ 1962年(昭和37年) フランスのピアニスト
カールハインツ・シュトックハウゼン 1966年(昭和41年)3月 ドイツの作曲家
オードリー・ヘップバーン 1983年(昭和58年)3月31日〜4月2日 女優
マーロン・ブランド
グレン・フォード
ジョン・レノン
ダライ・ラマ

宿泊した日本の著名人
皇室関係者多数
乃木希典
三船敏郎
小田実
平山郁夫
司馬遼太郎

周辺情報

旧大乗院庭園(隣接)
奈良公園
春日大社
興福寺
東大寺
奈良国立博物館
若草山
奈良町

[English Translation]