世襲親王家 (Seshu-Shinno-ke (the hereditary Imperial prince's family))

世襲親王家(せしゅうしんのうけ)とは、また「定親王家」ともいう。
江戸時代において、当今の天皇との血統の遠近に拘らず、代々親王宣下を受けることで親王の身位を保持し続けた四つの宮家をいう。

概説
中世以来、四辻宮や岩倉宮などいくつもの宮家が存在したが、これらの宮家は親王の身位とともに継承されるとは限らないので世襲宮家ではあるものの、世襲親王家ではない。
これらの世襲宮家は、建前上は正統な皇位継承権をもつ家系であることを主張できる存在ではあったが、必ずしも皇統断絶の危機に備えて存続していたのではなかった。

伏見宮家から後花園天皇が践祚した時に、自動的に伏見宮家の血筋が皇室に横滑りし、弟の伏見宮貞常親王も皇弟となって伏見宮家というくくりを無くす選択肢もありえた。
しかし実際には貞常親王が伏見宮家の当主を継承し、伏見宮家の財産を皇室に統合することはせず、後花園天皇は貞常親王に「永世伏見御所と称すべし」との勅許を与えた。
これが皇位継承資格者を確保するという目的をもった世襲親王家の始まりである。

世襲親王家はしばしば当今の天皇の直系に男子が不在の際に皇位継承資格者を輩出し、万世一系とされる皇統の維持に寄与してきた。
しかし明治維新後には旧皇室典範によって永世皇族制が採用され、親王宣下および世襲親王家の制度は廃止された。
これは、一旦世襲親王家として定めると、世代を経て皇統との血縁関係が離れていっても容易にこれを解消することができず、弾力ある運用が難しくなるためである。

世襲親王家(四親王家)
伏見宮家:始祖は北朝 (日本)3代崇光天皇の皇子、伏見宮栄仁親王。
昭和22年(1947年)、同系の10宮家とともに臣籍降下する。

桂宮家:始祖は第106代正親町天皇の皇孫、八条宮智仁親王。
明治14年(1881年)に第12代当主の桂宮淑子内親王の薨去により断絶した。

なお、世襲親王家および近現代の宮家において、内親王もしくは女王_(皇族)が当主とされたのはこの淑子内親王の一例だけである。

有栖川宮家:始祖は第107代後陽成天皇の皇子、高松宮好仁親王。
大正2年(1913年)に断絶したが、大正天皇の第3皇子の高松宮宣仁親王が有栖川宮家の祭祀を継承する。

閑院宮家:始祖は第113代東山天皇の皇子、閑院宮直仁親王。
幕末に当主を欠いたが、明治維新後に伏見宮家から王子を迎えて当主とした。
昭和22年に皇籍離脱し、昭和63年(1988年)に断絶した。

世襲親王家出身の天皇
第102代後花園天皇:伏見宮貞成親王の第1皇子。

第111代後西天皇 有栖川宮家当主。

第119代光格天皇:閑院宮典仁親王の第6王子。

[English Translation]