堀河家 ({{engl}})

堀河家(ほりかわけ)は、羽林家の家格を有する公家。
藤原北家高倉流。
江戸時代の家禄は180石。
明治維新後、子爵。

なお、村上源氏の源通具から始まる堀川家(室町時代に断絶)との関係は無い。

高倉永家の子で水無瀬親氏の養子となっていた堀河親具は、養父に実子が生まれた後に疎んじられて家を追われたために出家して「西雲」と号して東国に下り徳川家康のもとに身を寄せた。
天正13年(1585年)、家康が上洛した際に親具もこれに従って帰京したが、この時家康の計らいで親具に堀河の家号が与えられて新家創設が許された。
しかし、親具は出家していたために家を長男の堀河康胤に継がせて堀河家を起こさせた。
なお、後に次男の樋口信孝も樋口家を創設している。

康胤は徳川家康から一字を与えられて江戸幕府昵懇衆となり、後には中納言に昇った。
以後は参議を極位極官とする。

堀河康親の子である堀河親賀・堀河康隆親子(ただし、康隆は祖父・康親の養子になっているため、系譜上は兄弟)、親賀の実弟で岩倉家を継いでいた岩倉具視は、廷臣八十八卿列参事件に参加している。
また、康親の娘堀河紀子は孝明天皇の寵愛を受けて皇女を儲けたために康隆も天皇の侍従に抜擢された。
明治天皇の元で岩倉具視は右大臣を務め、堀河康隆も引き続き侍従を務めるなど、宮中において重きをなした。

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