源氏釈 (Genji Shaku)

源氏釈(げんじしゃく)とは、『源氏物語』の注釈書である。
藤原伊行によって平安時代末期に表された。
現存する最も古い『源氏物語』の注釈書である。
『弘安源氏論議』においても源氏物語の注釈の始まりとされている。
これに続く源氏物語の注釈書である藤原定家の奥入においても源氏釈は非常に重要視されており、数多く引用されている。
但し常に従っているわけではなく批判を加えている部分もある。

概要

源氏釈は、もともとは独立した注釈書ではなく藤原伊行が所有する源氏物語の写本に頭注、傍注、付箋などの形で書き付けていった注釈を改めて一冊にまとめたものと考えられている。
現在のような形で1冊にまとめたのが伊行自身なのか後人の手によるものなのかについては両説が存在する。
藤原伊行の注釈は後世の注釈書に数多く引用されている。
が、「源氏釈」のほか「源氏物語釈」、「源氏あらはかし」、「源氏あらはし」などさまざまな書名で呼ばれている。
「伊行釈」・「伊行朝臣釈」・「伊行朝臣勘」・「伊行勘」・「伊行」などとして書名を記さない形で引用されることも多い。
これは本書が一定の書名を持っていなかったためであるとする見解と本書が一冊の注釈書になる前の原型である写本に付記された注記から直接引用された場合があるからであるとする立場とが存在する。
藤原伊行の父藤原定信が死去した1156年(保元元年)には完成していたと見られる。

内容

現存する源氏釈の写本ではまず巻名をあげ、巻名に数字を書き加えるという、以下のような特徴がある。
ここにあげられている巻名・数え方・順序については現在の一般的なものと比べて、並びの巻は数えておらず、全37帖になっている。
(これは中世以前の源氏物語の古注釈ではよく行われた数え方である。)

真木柱のあとに現在の源氏物語には見られない「さくらひと」なる巻の存在が示されている。

「この巻はある本もあり無い本もある」とされながらもその本文とされるものが13項目にわたって引用され、注釈が加えられている。
「桜人」の巻は「蛍 (源氏物語)」巻の次ぎにあるとされている。

若菜 (源氏物語)は上下で1巻に数えている。

雲隠に相当する部分は存在しない。

けれども、その前後が「二十五 幻 (源氏物語)」「二十七 匂宮」と開いている。

このためおそらく欠落したと考えられる。

「三十六 夢浮橋」のあとに続く巻として夢浮橋の異名とされることのある「三十七 のりのし」なる名前の巻が名前のみあげられている。
池田亀鑑はこれを総角 (源氏物語)を椎本の並びの巻にしてしまい巻序を示す数字を書かなかった。
そのため最終巻である夢浮橋の数字が三十六になってしまった。
このため元々夢浮橋の異名であった「法の師」に「三十七」という数字を振って源氏物語全巻の巻数を37としたのではないかと推測している。

といった特徴がある。

巻名の後に注釈の対象となる部分の本文を引用し、その後に注釈を書き記す形を取っている。
源氏釈に引用されている本文は青表紙本や河内本が成立する以前の本文である。
紫式部の自筆本に近い可能性のある重要な本文であるとされている。
引用されている本文には別本とされている陽明文庫本に近いものがあることが指摘されている。

書かれている注釈の大部分は引歌や引詩の出典、史実の典拠を示したものである。

藤原伊行とほぼ同時代の歌人である藤原俊成によって「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」とされた。

歌作りにおいて重視された当時の源氏物語の受け取られ方を反映していると考えられる。

主要な写本

主要な写本としては以下のようなものがあり、いずれも全1巻。

前田家本 前田育徳会尊経閣文庫本(伝二条為定筆)
冷泉家本 冷泉家時雨亭文庫本
鎌倉期の書写本
巻子本 宮内庁書陵部本、桂宮本
冷泉家本を江戸時代初期に転写したと見られるもの。
桐壺帖から明石 (源氏物語)帖までしか残っていない。

現行の写本では、それぞれの写本ごとの異なりが非常に大きく、同じ部分に対して全く異なる注釈を加えている。
伊井春樹は伊行自身による大幅な改訂が行われたためであるとしており、冷泉家本を第一次本、前田家本を第二次本であるとしている。
源氏釈は奥入以降のさまざまな注釈において引用されることが多い。
が、「伊行釈」・「伊行」などと書名を記さない形で引用されるときに現行の写本のいずれにも含まれないものも多い。
そのため、伊行自身による改訂のほかに別人が独立した注釈書にするために編纂するに当たって大幅な内容の取捨選択が行われたと考える説もある。

[English Translation]