源等 (MINAMOTO no Hitoshi)

源等(みなもと の ひとし、元慶4年(880年) - 天暦5年(951年)3月)は、平安時代前期から中期にかけての公家。
父は中納言源希で、等は嵯峨天皇の曾孫にあたる。

899年(正泰2年)近江国権少掾に任命され、以後三河国守・丹後国守・山城国守などの地方官を歴任し、さらに左中弁・右大弁を経て、947年(天暦元年)参議に至り、951年(天暦5年)正四位下に叙された。

歌人としての経歴は不明であり、「後撰和歌集」に4首が残るのみである。

小倉百人一首
39番 浅茅生(あさじふ)の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき(「後撰和歌集」恋一 578)

[English Translation]