一柳直重 (HITOTSUYANAGI Naoshige)

一柳 直重(ひとつやなぎ なおしげ、慶長3年(1598年) - 正保2年6月24日 (旧暦)(1645年8月15日))は、伊予国西条藩の第2代藩主。
初代藩主・一柳直盛の長男。
弟に小野藩初代藩主・一柳直家。
正室は大納言・菊亭公矩の娘。
官位は従五位下、丹後国守。

慶長3年(1598年)、山城国伏見にて生まれる。
慶長14年(1609年)、丹後守に叙任する。
慶長19年(1614年)からの大坂の陣では、父と共に徳川方として参戦している。
父の死去により、寛永13年(1636年)11月24日家督と3万石の所領を相続し、伊予西条藩主となった。
その後は陣屋町(喜多浜町)の構築や加茂川 (愛媛県)の治水工事、新田開発などを行なって藩政の確立に尽くした。
寛永17年(1640年)、讃岐国高松藩の生駒高俊改易においては、松平定房や加藤泰興と共に高松城在番を務めた。
正保2年(1645年)6月24日に48歳で死去し、跡を長男の一柳直興が継いだ。
法号、直指院殿見嫂宗性大禅大門。
墓所は、東京都港区 (東京都)芝 (東京都港区)の増上寺。

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