一色教親 (ISSHIKI Norichika)

一色 教親(いっしき のりちか、応永26年(1419年) - 宝徳3年11月28日 (旧暦)(1451年12月21日))は室町時代の守護大名である。
父は足利義教の寵臣で一色義貫の弟一色持信。
五郎。
左京大夫。

永享12年(1440年)5月15日、一色義貫が大和国で誅殺されると、翌日早朝、手勢を引き連れ、京の義貫邸を襲撃、放火した。
この襲撃で義貫の家臣数十人が討死、自害している。

この功績により、一色氏の家督を継ぎ丹後国・伊勢国北半国の守護となる。
(尾張国海東郡・知多郡の分郡守護でもあった。)
翌年6月24日の嘉吉の変の際は義教に供奉していたが、いち早く逃げ出し難を逃れることができた。

文安4年(1447年)から宝徳元年(1449年)の間、山城国守護及び侍所頭人を務める。

宝徳3年(1451年)11月28日急死。
享年33。
成就院と号された。
嗣子がなかったため、一色氏の家督は義貫の嫡男一色義直が継いだ。

[English Translation]