三条公充 (SANJO Kinatsu)

三条 公充(さんじょう きんあつ、元禄4年1月23日 (旧暦)(1691年2月20日) - 享保11年9月17日 (旧暦)(1726年10月12日))は、江戸時代中期の公卿。
東山天皇(113代)・中御門天皇(114代)の二代にわたり仕えたが、若くして薨去したため、三条家の当主でありながら官位は従二位大納言止まり。
父は左大臣三条実治。
兄に近衛府三条公兼。
妻は彦根藩主井伊直該の娘。
娘に三条実顕室。

兄公兼が元禄13年(1700年)に突然官位を止められたため、かわって三条家の当主として叙爵。
朝廷へ出仕することとなった。
以降累進して、宝永2年(1705年)に従三位となり公卿となる。
中納言や踏歌節会外弁を経て、享保2年(1717年)に権大納言に任じられたが、享保4年(1719年)に辞職した。
享保11年(1726年)に三十六歳の若さで薨去している。
兄公兼の子実顕が三条家を相続した。

[English Translation]