三条実秀 (SANJO Sanehide)

三条実秀(さんじょう さねひで、慶長3年(1598年)‐寛文11年8月25日 (旧暦)(1671年9月27日))は、江戸時代前期の公卿。
後陽成天皇(108代)から後西天皇(111代)までの四代にわたって仕え、従一位左大臣まで昇っている。
父は大納言三条公広。
母は中納言正親町三条公仲の娘。
正室は権大納言日野資勝の娘。
子に右大臣三条公富、延岡藩主内藤義概室がいる。

慶長9年(1604年)に叙爵してから累進し、元和 (日本)元年(1615年)に近衛府となったのを機に元服した。
元和5年(1619年)に従三位となり、公卿に列する。
その後も権中納言・権大納言・踏歌節会外弁などを歴任。
慶安元年(1648年)に内大臣に叙せられた。
同年辞職。
承応元年(1652年)から翌年にかけて右大臣を務めた。
明暦3年(1657年)に従一位に叙せられ、万治3年(1660年)から翌年にかけて左大臣を務める。
長寿によって清華家の出世コースを順調にたどっていくことができた人物であった。

[English Translation]