三条西季知 (SANJONISHI Suetomo)

三条西 季知(さんじょうにし すえとも、文化 (元号)8年2月26日 (旧暦)(1811年3月20日) - 明治13年(1880年)8月24日)は、幕末の公卿で明治の高官。
三条西実勲の子。
母は三条実起の女。

安政5年(1858年)、権中納言となり重んじられるが、文久3年(1863年)公武合体派の策略により、三条実美らと長州へ下向、いわゆる七卿落ちの一人となる。
その後さらに太宰府まで走り、やがて王政復古の大号令によって赦され、帰京。

明治維新後、大納言、参与、神宮祭主となった。

三条西家の当主だけあって歌道の宗匠として知られ、西四辻公業(大坂府知事)とともに明治天皇の歌道師範としても有名である。
季知自身は高松公祐に師事した。

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