北条守時 (HOJO Moritoki)

北条 守時(ほうじょう もりとき)は鎌倉時代末期の北条氏の一門。
鎌倉幕府第16代(最後)の執権。
父は北条氏 (赤橋流)の北条久時。
赤橋守時(あかはし もりとき)とも呼ばれる。
鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏は妹婿にあたる。

略歴

嘉暦2年(1327年)3月の嘉暦の騒動の後、4月24日に16代執権となるが、実権は北条得宗家の北条高時や内管領・長崎高資らに握られていた。

元弘3年/正慶2年(1333年)5月 (旧暦)、姻戚関係にあった御家人筆頭の足利高氏(尊氏)が遠征先の京都で幕府に叛旗を翻し、六波羅探題を攻め落とすと、守時の幕府内における立場は悪化し、高時から謹慎を申し付けられる。

元弘3年5月18日、新田義貞率いる倒幕軍を迎え撃つため出撃、鎌倉中心部への交通の要衝・巨福呂坂に拠り新田勢と激戦を繰り広げるが、最期は衆寡敵せず洲崎(現在の神奈川県鎌倉市深沢地域周辺)で自刃する。
享年39。

年譜
※日付=旧暦
応長元年(1311年)、幕府の評定衆と就る。
在任中、左近衛将監、讃岐守、武蔵守を歴任。

正和2年(1313年)、引付頭人を兼務。

嘉暦元年(1326年)、評定衆・引付頭人退任。
月日不詳、相模守に遷任。

嘉暦2年(1327年)4月24日、執権と就る。
月日不詳、従四位下に昇叙。

元弘3年(1333年)5月18日、自刃。
享年39。
法名:慈光院道本。

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