南の局 (Minami no tsubone)

南の局(みなみのつぼね、永禄9年(1566年)? - 没年不詳)は、鳥取城主山名豊国の娘。
豊臣秀吉の側室。
名はあかね。

天正8年(1580年)5月26日、秀吉は鳥取城を攻めると見せかけ、守りの手薄だった鹿野城を攻めた。

当時、山名豊国は毛利氏に従属しており、鹿野城には毛利の人質として妻や娘のあかね他、重臣の森下道裕・中村春次ら家臣達二十余人が収容されていた。
秀吉は鹿野城を容易に陥落させると人質を奪い、彼らを連行した後、鳥取城を包囲した。
秀吉は人質を助命する代わりに開城を迫ったが、豊国が応じなかったため、見せしめとして家臣の家族達を磔にし、一人一人処刑していった。
豊国は次々と家臣の家族達が処刑されていっても、依然として開城には応じなかった。
しかし、自分の娘のあかねが磔にされると、ついに開城した。
秀吉はあかねの命は助けたものの、開城が遅いという事で豊国との因幡国安堵の約束を反故にし、二郡のみを与えて引き上げた。
その後、豊国は家臣達によって鳥取城から追放された。

あかねは秀吉の側室となった。
豊国は豊臣秀吉に従う事になり、天正9年(1581年)の第二次鳥取城攻めに加わった。

[English Translation]