卜半斎了珍 (BOKUHANSAI Ryochin)

卜半斎 了珍(ぼくはんさい りょうちん、大永6年(1526年) - 慶長7年10月16日 (旧暦)(1602年11月29日))は和泉国貝塚寺内町の地頭。
和泉国願泉寺 (貝塚市)初代住持。
紀伊国根来寺の出身。

天文 (元号)14年(1545年)、浄土真宗の門徒集団の自治区であった貝塚市に根来寺から招かれて地頭となり、元あった寺を再興する。
豊臣秀吉とは親密な関係であったため貝塚の支配権を確立。
聚楽第建設にも材木奉行として参加した。
この寺は本願寺門主の顕如が約2年間滞在し本願寺の拠点となった。
が、顕如が退去した後は准如より「願泉寺」の寺号を賜り初代住持となる。

了珍に始まる卜半家は、徳川家康より貝塚寺内町の支配を認められ、その領地は江戸時代を通じて数少ない寺内領として幕末に至った。

現在でも地元では卜半斎の名にちなみ、願泉寺を「ぼっかんさん」と呼ぶ。

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