呑竜 (Donryu)

呑竜(どんりゅう、弘治 (日本)2年4月23日 (旧暦)(1556年6月2日) - 元和 (日本)9年8月9日 (旧暦)(1623年9月3日))は、戦国時代 (日本)から江戸時代前期にかけての浄土宗の僧。
字は故信、法号は源蓮社然誉。
武蔵国埼玉郡の生まれ。

幼くして故郷の林西寺の岌弁(きゅうべん)に師事して出家し、その後江戸芝増上寺で修学した。
やがて、武蔵国八王子にある大善寺 (八王子市)(浄土宗関東十八檀林の1つ)の3世となりました。
浄土宗檀林(浄土宗僧侶の養成所)の基礎固めを行った。
1613年(慶長18年)徳川家康の命により上野国太田に大光院が建立され、呑竜はその開山となった。
1616年(元和2年)、孝心のため国禁を犯した子をかくまい幕府から譴責されたが、5年後の1621年(元和7年)に赦免された。
このことから、子育て呑竜の異名で呼ばれるようになった。

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