大炊御門家嗣 (OINOMIKADO Ietsugu)

大炊御門 家嗣(おおいのみかど いえつぐ、建久8年(1197年) - 文永8年7月8日 (旧暦)(1271年8月14日))は、鎌倉時代中期の公卿。
土御門天皇(83代)から後深草天皇(89代)に至る七朝にわたって仕え、官位は正二位内大臣まで昇った。
父は右大臣大炊御門師経。
母は権中納言藤原光雅の娘。
妻は藤原基宗の娘。
子に内大臣大炊御門冬忠がいる。

元久2年(1205年)に叙爵して以降、累進し、右近衛少将、遠江権介、伊予権介を経て、建保2年(1214年)に従三位に達して公卿となる。
その後も右近衛中将、越前権介、権中納言、中納言、権大納言を経て、寛喜3年(1231年)後堀河天皇の皇太子、秀仁親王(四条天皇)の春宮大夫に任じられた。
貞永元年(1232年)、親王の即位とともに辞職。
同年右近衛大将となる。
天福 (日本)元年(1233年)には後堀河天皇の皇后三条有子の皇后宮大夫となり、暦仁元年(1238年)には内大臣に任じられ、仁治元年(1240年)には辞職した。
建長元年(1249年)に出家して以降は嵯峨入道と称された。
文永8年(1271年)に薨去。
享年75。

[English Translation]