松平光慈 (MATSUDAIRA Mitsuchika)

松平 光慈(まつだいら みつちか)は、山城国淀藩の第2代藩主。
のち志摩国鳥羽藩主となり、信濃国松本藩の初代藩主となる。
戸田松平家6代。

正徳2年(1712年)9月22日、山城淀藩の初代藩主・松平光煕の三男として生まれる。

享保元年(1716年)に叔父の松平光規(旗本3000俵)の養嗣子として、その家系を継いでいた。
しかし本家を継ぐはずだった兄たちが早世したため、本家に戻って世子となった。
父の死去により、享保2年(1717年)11月1日に後を継いで淀藩の第2代藩主となる。
同時に淀藩を転じて鳥羽藩に移封された。

享保10年(1725年)10月18日には鳥羽藩から信州松本藩へ移封となる。
12月18日、従五位下・丹波守に叙位・任官する。
移封続きで、財政年に陥り、実際に光慈が国入りしたのは、享保14年になってからだった。

享保17年(1732年)に死去。
享年21。
後を養子で弟の松平光雄が継いだ。

[English Translation]