柴田彦三郎 (SHIBATA Hikozaburo)

柴田 彦三郎(しばた ひこさぶろう、天保11年(1840年) - 慶応2年6月23日 (旧暦)(1866年8月3日))は新選組平隊士。

元治元年(1864年)10月、近藤勇の江戸での隊士募集に応じて上洛。
慶応2年2月に一橋家家臣原口某と名乗り勝手に金策をした。
人相書を用意した松本喜次郎や近藤芳助など4人の隊士に追われ出雲の宿で役人に捕まり屯所へ戻され、大勢の隊士の前で切腹した。
享年28。

墓は光縁寺にある。

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