永瀬狂三 (NAGASE Kyozo)

永瀬 狂三(ながせ きょうぞう、1877年 - 1955年1月21日)は、京都を中心に活躍した建築家。
京都帝国大学営繕に在籍していたことから、京都大学に多くの作品を残している。

経歴

1877年(明治10年)愛知県田原市に生まれる
祖父は田原藩国元家老の鈴木弥太夫、父の代から永瀬姓を名乗った
「狂三」の名前の由来は、論語・巻第七 子路第十三の「不得中行而与之、必也狂狷乎、狂者進取、狷者有所不為也(中行を得てこれに与せずんば、必ずや狂狷か、狂者は進みて取り、狷者は為さざる所あり)」から
1906年(明治39年)東京大学建築学科を卒業、横浜市の下田築造合資会社(下田菊太郎)に入所
1908年(明治41年)辰野・片岡設計事務所に入所
1909年(明治42年)京都帝国大学建築部嘱託となる
1917年(大正 6年)京都帝国大学工学部講師となる
1919年(大正 8年)京都帝国大学建築部長となる
1920年(大正 9年)組織改組により京都帝国大学営繕課長となる
京都工芸繊維大学講師となる(~1944年)
1929年(昭和 4年)京都帝国大学を退職する
1935年(昭和10年)京都工学校校長となる(~1945年)
1955年(昭和30年)逝去

主な作品

京都大学学生集会所(1912年)
京都大学文学部陳列館(1914年、山本治兵衛と共同設計、京都市左京区、登録有形文化財)
京都大学医学部推進センター(旧生理学教室研究室、1914年、京都市左京区)
京都大学農学部附属農場園芸実験室(1924年、京都市左京区)
京都大学理学部附属地球物理学研究所(1924年、大分県別府市、登録有形文化財)
京都大学本部本館(1925年、武田五一・坂静雄と共同設計、京都市左京区)

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