河鰭実文 (KAWABATA Sanefumi)

河鰭 実文(かわばた さねふみ、弘化2年4月5日 (旧暦)(1845年5月10日) - 明治43年(1910年)7月16日)は、幕末から明治時代にかけての公家・政治家。
内大臣三条実万の子で、土佐藩主山内豊策の娘紀子。
近衛府河鰭公述の養子縁組となり、河鰭家第25代当主となる。
兄弟に三条公睦・三条実美・数姫(山内豊惇婚約者)・峯(細川韶邦正室)がいる。
正室は正三位治部卿倉橋泰聡の娘。
子はなく、養子に河鰭公篤(河鰭公述の子)・河鰭実英(三条実美の子)がいた。
従二位・元老院議官・子爵・貴族院議員。

戊辰戦争では錦旗奉行となり、慶応4年(1868年)4月には有栖川宮熾仁親王に従って江戸城に入った。
明治3年(1870年)東京府権少参事となり、その後、内務権少書記官などを務めた。
明治6年(1873年)イギリスに留学し、帰国後、華族会館副幹事となった。
明治43年(1910年)7月16日、66歳で没した。

[English Translation]