源満政 (MINAMOTO no Mitsumasa)

源 満政(みなもと の みつまさ、生没年不詳)は、平安時代中期の武将。
源経基の次男。
源満仲、源満季らの同母兄弟。
子に源忠重、源忠隆、源忠国らがある。
官位は、従四位下、検非違使、左衛門大尉、兵庫允、左馬助、兵部丞、治部少輔、陸奥国守、伊予国守、武蔵国守、鎮守府将軍。
八島大夫、村岡大夫などと号した。
清和源氏満政流の流祖。
諱は満正とも記される。

正暦5年(994年)に行われた盗賊の追捕に際して、平維将(平貞盛の子)や甥の源頼親、源頼信らと共に武者として捜索に動員されたことを伝える記事が初見とされている(『日本紀略』、『本朝世紀』同年3月6日 (旧暦)条)。
そして、藤原道長にたびたび馬の献上をしている記録が『御堂関白記』に見えていることや、上流の公家が多く住む左京北辺の一条に邸宅を所有していたことが確認されている
このことなどから、兄や甥などと同じく藤原道長一族に近侍する受領層の富裕な軍事貴族であったことが推察されている。
また、平安時代後期に大江匡房によって記された『続本朝往生伝』には、源満仲・源頼光・平維衡・平致頼らと共に「天下之一物」としてその名が挙げられている。

なお、兵庫県宝塚市にある波豆八幡神社は満政の創建と伝えられるほか、大阪府能勢町にある汐の湯温泉に湯治に出かけた記録が残るなど、当時の清和源氏の本拠地であった摂津国との関係を伺わす史跡や史料も存在している。

後代、満政の子孫は長男・忠重の系統が美濃国から尾張国、三河国方面にかけて進出し、八島氏をはじめ、浦野氏、山田氏、水野氏、足助氏、小河氏、高田氏、小島氏、佐渡氏、木田氏など多くの氏族を輩出した。
ほか、次男・忠隆の系統は主に近江国を地盤として、善積氏や近江和田氏などを輩出している。
また、三男・忠国は摂津との関係が記録に残っている。

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