源顕親 (MINAMOTO no Akichika)

源顕親(みなもとのあきちか、寛治2年(1088年)- 永暦元年(1160年))は、平安時代後期の官人。
村上源氏源顕房流。
権大納言源雅俊の子。
母は備中守高階為家女。
同母兄弟に源顕重・源顕俊がいた。
子に源雅範・源俊光・源俊長・藤原公行室らがいた。
右京権大夫・侍従・播磨国守・皇后宮(藤原泰子)亮などを歴任。
天養元年(1144年)昇殿を許された。
久寿2年(1155年)の高陽院(藤原泰子)の葬送に際しては奉行を務めた。
最終位階は正四位下だった。
晩年出家し、永暦元年に73歳で卒去。
梅津殿と呼ばれる山荘を所有し、彼の没後は藤原忠通の持ち家になった。

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