瀧川辨三 (TAKIGAWA Benzo)

瀧川 辨三(たきがわ べんぞう、1851年 - 1925年)は、日本の実業家、政治家で神戸市実業界の重鎮。
元貴族院議員、元神戸商業会議所会頭。
「日本のマッチ王」と称された。
元神戸商業会議所会頭、元神戸日華実業協会長、元東洋燐寸社長の瀧川儀作(1874-1963年)は養嗣子。

長府藩藩士瀧川資致の二男として嘉永四年長府で生まれた。

明治元年、北越戦争に参戦。

大阪の開成校で学び、その後工部省電信学校を卒業。

明治17年神戸市で興したマッチ製造会社(精燧社)が成功。

精燧社は数々の会社を吸収して東洋燐寸株式会社と改名し、辨三は「日本のマッチ王」と呼ばれるようになる。

神戸のガス燃料・水道・電気・築港などの公共事業にも参画した。

また巨資を投じて滝川中学校を設立した。

神戸商工会議所会頭、貴族院 (日本)議員などを歴任し大正14年没。
享年75。

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