玉田宿禰 (Tamada no sukune)

玉田宿禰(たまだのすくね、生年不詳 - 允恭天皇5年(416年))、紀元5世紀ごろの葛城氏の豪族。

『日本書紀』によると、允恭天皇5年(416年)7月14日、玉田宿禰は反正天皇の遺体の管理を命ぜられていたが、地震(記録された日本での初めての地震)があったにも関わらず遺体の安置場所に集まらなかった。
允恭天皇は尾張連吾襲に調査を命じるが、玉田宿禰は当日酒宴を催していたこともあって、事件を隠蔽しようと尾張連吾襲を殺し、武内宿禰の墓所に逃げ込んだ。
允恭天皇は玉田宿禰を呼び出し、武装しているのを見つけ、これを誅した。

『古事記』には玉田宿禰の記述はない。

系譜

葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)が父または祖父(日本書紀には両方の記述があって矛盾している。公卿補任によれば父)。

息子は葛城円(かつらぎのつぶら)。
(公卿補任による)

[English Translation]