石塔義房 (ISHIDO Yoshifusa)

石塔 義房(いしどう よしふさ、生没年不詳)は、南北朝時代 (日本)の武将。
法名は秀慶(または入道義慶)。

1334年に駿河国・伊豆国守護足利尊氏の守護代となり、1336年(延元元年/建武 (日本)3年)に駿河と伊豆の守護職に就任。
翌年解任され、奥州総大将として陸奥国へ派遣、1345年に至るまで在国し伊達氏、北畠顕信らの南朝 (日本)方を圧倒させ、奥羽の組織化に成功を収める。
しかし足利尊氏に独自支配の風潮が強くなったことを理由に解任される。
1345年には、一時鎌倉に住居したらしい。

観応の擾乱以降は足利尊氏に敵対する態度をとり続け、反尊氏勢力の足利直義につく。
観応元年12月の相模国毛利荘湯山事件では、尊氏方の高師冬から、足利基氏を奪取して、事態を足利直義に報告。
直義から伊豆・甲斐国の守護を補任された。
1351年末には、駿河薩埵山の戦いに敗北。
直義の死去後は足利直冬方に与し新田義興・新田義宗と結託し、畿内方面を歴戦した。
だが、やがて尊氏に圧倒され衰退していった。
1355年に尊氏の京都掌握後、消息を絶った。

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