荷田春満 (KADA no Azumamaro)

荷田春満(かだのあずままろ、寛文9年1月3日 (旧暦)(1669年2月3日) - 元文元年7月2日 (旧暦)(1736年8月8日))は、江戸時代中期の国学者・歌人。
京都の生まれ。
通称斎宮(いつき)。
初名は信盛と称し、のちに東丸。
父は伏見稲荷神社(現在の伏見稲荷大社)の社家で御殿預職の羽倉信詮(はくらのぶあき)。
母は細川忠興の家臣深尾氏の娘貝子。

古典・日本史を研究して復古神道を提唱。
『万葉集』・『古事記』・『日本書紀』の研究の基礎を築き、賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤とともに国学の四大人の一人に数えられた。

著述は、業半ばで倒れたため未定稿のものが多い。
主な著書に『万葉集僻案抄』『春葉集』などがある。
1928年から1932年にかけて稲荷神社により『荷田全集』全7巻が、1944年に同じく稲荷神社の編になる『荷田春満全集』全10巻が企画されるが、いずれも当時の情勢により中止となってしまっていた。
近年新たに、國學院大學の百二十周年記念事業の一環として「近世国学の展開と荷田春満の史料的研究」プロジェクトが立ち上がり、『新編荷田春満全集』全12巻が刊行されつつある。

弟子に賀茂真淵がいる。
養子は荷田在満。

京都市伏見区の伏見稲荷大社境内に隣接する東丸神社は学問の神様で知られ、合格祈願の絵馬や折鶴が奉納されている。

[English Translation]