藤原公通 (FUJIWARA no Kinmichi)

藤原公通(ふじわら の きんみち、永久 (元号)5年(1117年) - 承安 (日本)3年9月9日 (旧暦)(1173年10月17日)、または4月9日 (旧暦)(5月22日))は、平安時代後期の公卿。
西園寺家の第二代に数えられる人物。
中納言藤原通季の子。
号は閑院按察。
藤大納言とも呼ばれた。

鳥羽天皇(74代)・崇徳天皇(75代)・近衛天皇(76代)・後白河天皇(77代)・二条天皇(78代)・六条天皇(79代)の六朝にわたって朝廷に仕え、官位は正二位大納言まで昇った。

経歴

保安 (元号)3年(1122年)に叙爵してから累進し、丹波守・侍従・因幡守・右近衛少将・右近衛中将などを歴任。
久安5年(1149年)には蔵人頭に就任。
久安6年(1150年)には参議となり、公卿に列した。
その後、備前権守・美作権守・権中納言・中納言を経て、応保元年(1161年)大納言に任じられ、仁安 (日本)2年(1167年)まで務めた。
応保2年(1162年)には按察使に就任している。

[English Translation]