藤原宗成 (FUJIWARA no Munenari)

藤原宗成(ふじわら の むねなり、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。
藤原北家。
藤原永手の曾孫。
藤原家依の孫。
藤原三起の子。
母は犬養伯女。
従五位下(または従五位上)。
散位か。
『日本後紀』には蔭子とある。

略歴

『日本後紀』によると、大同 (日本)2年(807年)に中務卿兼大宰帥伊予親王に謀反を勧めたため、流刑に処せられたという。
この事件で藤原吉子・伊予親王母子は川原寺に幽閉され自殺、大納言藤原雄友は流刑、中納言藤原乙叡は解官され、藤原南家は没落した(伊予親王の変)。
宗成は藤原式家の藤原仲成にそそのかされたともいうが、定かではない。

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