藤原登任 (FUJIWARA no Narito)

藤原登任(ふじわら の なりとう、987年(永延元年) - 没年不詳)は、平安時代の貴族。
藤原南家真作流、藤原師長(南家)の子。
藤原長宗、藤原長明らの父。
主殿頭、出雲守などを歴任後,永承5年(1050年)、陸奥守として下向。

翌年の永承6年(1051年)、安倍氏 (奥州)が衣川の柵を越え勢力圏を拡大しようとしたため、陸奥守だった登任は、秋田城介平重成らと安倍氏を討伐しようするが、逆に鬼切部で大敗を喫し更迭された。
「前九年の役」の発端となる。
当時の状況は後任の源頼義による上奏文に、「東夷蜂起シ郡県ヲ領シ以ッテ夷地トナシ、人民ヲ駆使シ蛮虜トナシ六カ郡中、国務ニ従ガワズ、皇威ヲ忘ルルガ如シ」とある。

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