関藍梁 (SEKI Ranryo)

関 藍梁(せき らんりょう、文化 (元号)2年4月7日 (旧暦)(1805年5月5日) - 文久3年8月16日 (旧暦)(1863年9月28日))は、近江国(滋賀県)高島郡 (滋賀県)東万木村(現高島市安曇川町青柳)出身の膳所藩の江戸藩邸詰めの儒者。
名は研、通称は研次。
藍梁は号。
13歳のり江戸に下り、昌平黌に入る。
また市河米庵にも師事した。

マシュー・ペリー来航時、幕府の儒者・林復斎(林復斎)に随行し応接にあたる。

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