鷹司教平 (TAKATSUKASA Norihira)

鷹司 教平(たかつかさ のりひら、慶長14年1月10日 (旧暦)(1609年2月14日) - 寛文8年10月3日 (旧暦)(1668年11月7日))は江戸時代の公卿。
父は鷹司信尚。
母は後陽成天皇第三皇女清子内親王 (江戸時代)。
正室は文智女王。
側室に冷泉為満の娘がいる。
子に鷹司房輔、九条兼晴、鷹司信子(徳川綱吉正室)、鷹司房子(霊元天皇の中宮)、俊海(九条兼晴猶子)らがいる。
号は一致院。
一字名は雲・謙・公。
大納言近衛府。
従一位(1655年(承応4年)1月29日 (旧暦)叙)。

略歴

慶長14年(1609年)に鷹司信尚の子として生まれる。
内大臣(1632年)、右大臣(1632年 - 1640年)、左大臣(1640年 - 1641年)などを歴任。
寛文8年(1668年)薨去。

なお、18世紀初期には近衛家以外の摂関家の全ての当主が教平の男系の孫(鷹司兼熙・一条兼香・九条輔実・二条綱平)が占めていた時期がある。

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