京阪本線 ({{engl}})

京阪本線(けいはんほんせん)は、大阪府大阪市中央区 (大阪市)の淀屋橋駅から京都府京都市東山区の三条駅 (京都府)までを結ぶ京阪電気鉄道の鉄道路線。

「本線」という路線名ではなく、京都と大阪を結ぶという意味の社名略称を冠した「京阪本線」が正式な路線名である。
京阪本線に接続する各路線(京阪鴨東線・京阪宇治線・京阪交野線)と併せて京阪線と総称される。

路線データ

路線距離(営業キロ):淀屋橋~三条間 49.3km
軌間:1435mm
駅数:40駅(起終点駅含む)、1信号所
複線区間:
複々線:天満橋~寝屋川信号所間
複線:淀屋橋~天満橋間、寝屋川信号所~三条間
電化区間:全線電化(直流1500V)
閉塞 (鉄道):自動閉塞式
最高速度:110km/h
保安装置:自動列車停止装置京阪型速度照査ATS

概要

路線名の通り、大阪と京都を結ぶ路線であるが、並行するJR京都線(東海道本線)や阪急京都本線とは異なり、淀川の南側を通る。
大阪市内の淀屋橋~天満橋間と京都市内の七条~三条間は地下線となっている。
東福寺~三条間は軌道法に基づく軌道 (鉄道)となっている。
天満橋~寝屋川信号所間の複々線では普通列車と一部の区間急行は外側線(B線)、その他の列車は内側線(A線)を走る。

大阪市の天満橋駅から分岐して同市北区 (大阪市)の中之島 (大阪府)地区を通る京阪中之島線が建設中で(2008年10月19日開業予定)、同線開業後は京阪本線と一体的に運行される予定となっている。

立体交差工事やバリアフリー対応の工事は比較的進んでいる。
主な大きな工事として京都地下線(東福寺駅~三条駅)は1987年、枚方市駅は1993年、寝屋川市駅は1999年にそれぞれ完成している。

淀屋橋駅(1面3線だが1番線と4番線が同じ線を使う)のホーム構造が災いして、全体的に余裕のないダイヤになっている。
そのため淀屋橋駅や出町柳駅での折り返し時間が僅少な列車も多く存在する。

なお、当線は『鉄道要覧』では大阪の淀屋橋駅が起点として記載されているが、運行上の起点駅は京都の三条駅であり、京都から大阪に向かう列車が「下り」、その逆が「上り」となる(阪急京都本線も同様)。

運行形態

三条駅に発着する大半の列車が京阪鴨東線の出町柳駅まで直通運転している。

2006年4月16日に実施された京阪線のダイヤ改正では、平日の場合、朝のK特急の一部が特急に変更され、区間急行が26年ぶりに昼間時に運転されるようになったほか、43年ぶりに昼間時の天満橋止まりが復活するなど、大幅な変更があったが、枚方市・丹波橋・三条での緩急連絡は従来通りである。
一方で改正前後には、朝ラッシュ時に天満橋で折り返す急行・準急が増えたことや、昼間時の準急の廃止により萱島駅及び光善寺駅の利便性が低下したことに対する不満も上がったようで、2007年1月27日にはこれらの問題点に対応したダイヤ変更が実施された(朝ラッシュ時の天満橋折り返し列車と淀屋橋発着列車の配分の見直し、平日15時台の急行を準急に格下げ、など)。

以下に種別ごとの詳細を示す。
京阪特急、K特急も参照。

K特急

京阪本線の最優等種別。
2003年9月6日のダイヤ改正で新設(運転開始は8日から)された。
ただし停車駅はダイヤ改正前の特急と同じで、特急の停車駅が増加したことにより新たに設けられた種別である。
淀屋橋~出町柳間で運行され、朝の淀屋橋行きが枚方市にも停車するのは従来通りである。

平日の昼間以外の時間帯のみの運転で、通勤特急の役割を果たすことから土曜・休日は運転されない。
平日夕方ラッシュ時では丹波橋駅で急行と緩急接続を行う。
朝の下り以外は事実上の京阪間ノンストップ列車である。
朝の一部の列車は3ドア車で運転され、特に最混雑時間帯の下り列車では2ドア車の充当が避けられている。

また、朝ラッシュ時には京阪交野線私市から淀屋橋行K特急「おりひめ」が運転されている。
この列車は交野線でのホーム有効長の関係上5両編成で運転される。

平日朝ラッシュ時下りの列車は、枚方市から非常に混雑し一部車両には押し屋が必要なほどである。

朝ラッシュ時には出町柳側の1両目が女性専用車両として運用されている。

特急

京阪本線の主力優等種別。
K特急が運行されない平日昼間と土曜・休日の終日に淀屋橋~出町柳間で運行される。

2006年4月16日のダイヤ改正から運転時間が拡大され、平日朝9時台前半の特急にK特急と同様に女性専用車両が設定された。
現行のダイヤでは枚方市以東の先着列車・優等列車となるので、昼間でも激しく混雑する場合がある。

K特急・特急は利用客に「京阪特急」の通称で親しまれている。
車両はテレビが設置されているテレビカーと2階建車両(ダブルデッカー)が連結されている特急形車両の京阪3000系電車・京阪8000系電車電車の運用が中心だが、2003年9月6日のダイヤ改正で車両数の関係から昼間時間帯の特急のうち約1/3の列車に3ドアの車両が使用されることとなった。
3ドアの特急には主にセミクロスシートの京阪9000系電車が運用されるほか、朝ラッシュ時のK特急の3ドア車集中運用によるダイヤ編成の都合上、平日午前中に運転される10本(K特急・特急あわせて下り8本、上り2本)の列車で京阪7200系電車または京阪6000系電車電車による8両編成のオールロングシート車が定期運用されている。

おおむね正午以降は3ドア車も含めてクロスシート車での運用に統一されるが、9000系が検査や部品交換の時期に入ると、午後以降にも一部の便でロングシート車による代走が行われることがある。
なお、駅の時刻表には発車時刻の横に小さく2ドア車か3ドア車を表すマークが付けられている。

出町柳~淀屋橋間の標準所要時間は53分で、カーブの多い路線が影響して、大阪~京都間を28分で結ぶJR京都線の新快速に大きく水を空けられている。
ただし、京橋~七条間に限って見れば所要時間は約40分である。

今でこそ枚方市駅・樟葉駅に停車しているが、2003年までは基本的には通過運転であった(枚方市駅は朝のみ停車)。
ただし、毎年8月の最終日曜日に行われていた『くらわんか花火大会』の開催時には枚方市駅(1998年以前は樟葉駅)に臨時停車していた。

特急の方向幕の地色は赤である。
2003年9月のダイヤ改正で現在の赤地に白文字の幕となった。
それ以前は、8000系は黒地に赤文字の幕を、3000系は白地に赤文字の幕を使用しており、1995年の更新工事の際に8000系と同様の黒地に赤の幕となった。
2003年以前に使用していた黒地に赤字の幕は2600系に入っており、「K特急おりひめ」で使用される。
なお、現在の赤地に白文字の幕は、製造時の6000系の急行幕(英語無し)と同じ色である。

急行

ほぼ終日運転されている。
昼間は淀屋橋~枚方市間の運転(一部は準急)が主体となり、それ以外の時間帯は淀屋橋~出町柳間の運転が主体となる。
運用はラッシュ時には天満橋折り返し列車や樟葉始発・終着の列車がある。
昼間運行の急行(準急)は守口市で必ず普通に連絡し、香里園で特急の通過待ちを行う。
平日の昼間時と土曜・休日の11~15時台以外は淀屋橋~出町柳間で運転され、土曜・休日は一部を除き淀屋橋・三条(列車によっては出町柳)まで先着する(平日の場合京阪間の通し列車は早朝・朝ラッシュ時上り・深夜の一部列車を除き途中駅でK特急に追い抜かれる)。
守口市と枚方公園は朝ラッシュ時と深夜は通過する。
7両編成の運用もあるが、大阪口(特にK特急運転時間帯)での混雑が激しいため8両編成での運転が中心である。
また、京橋から寝屋川市の間はほとんどの駅を通過する(早朝と深夜はノンストップ、それ以外の時間帯は守口市のみ停車)反面、寝屋川市以北では約半数の駅に停車しており、そのために2003年9月のダイヤ改正までは特急と急行の所要時間の差が大きいダイヤが組まれていた。

なお淀屋橋開業後の1964年当時の途中停車駅は四条、七条、伏見稲荷、丹波橋、中書島、八幡町(現八幡市)、枚方市、香里園、京橋、天満橋、北浜(このほか、日中は枚方公園に停車)であり、当時の急行は2008年10月に新たに登場する予定である快速急行とほぼ同じ水準の停車駅数であった(快速急行は先述の駅のほか、樟葉、寝屋川市、守口市に停車し伏見稲荷、八幡市、枚方公園を通過する予定)。

時間帯によっては入出庫・間合い運用の都合上、特急用の3000系・8000系電車が運用に入ることもある。
特急車の急行は早朝・深夜の入出庫を兼ねた運用のほか、平日朝下りの通勤時間帯が終了する9時~10時台にも淀屋橋~枚方市駅間の急行として運用に入る便が上り1本・下り3本、さらに淀屋橋発出町柳行急行として運用されるものが1本ある。
これらは淀屋橋または出町柳駅での折り返し時にロングシート車で運転される特急と入れ替える運用で組まれている(同様の運用替えは9000系と6000系または京阪7200系電車との相互間においても行われている)。
なお、平日午前中に特急車で運用される淀屋橋~枚方市間の急行は、上下とも香里園でロングシート車使用の特急に追い抜かれる。
さらに早朝・深夜を中心に準急・普通の運用もある(過去に平日下り区間急行での運用も1本あったが、2007年1月のダイヤ改正以後運用には就いていない)。

京都競馬場での競馬開催時(場外の時期も含む)は淀駅に臨時停車する。
また淀駅の大阪寄りに淀車庫があるため早朝と深夜の出町柳駅~淀駅間運転の急行と、競馬開催時の同駅始発天満橋・出町柳行の臨時急行に限り客扱いを行う。
なお早朝・深夜の出町柳駅~淀駅の急行は2003年9月までは準急として運転されていた。

2007年1月27日のダイヤ一部変更で平日15時台に淀屋橋~枚方市間の急行が準急に格下げされた。
これは光善寺駅での学生の下校対策である。

方向幕の色は朱色に白文字である。
現在の朱色は、1989年の7000系登場以降英語入りの幕に交換された時から使用されている。
それ以前は、英語表示のない赤地に白文字の幕(色は2003年以降の特急と同じ)を使用していた。
6000系登場以前は、白地に赤字であった。
前面の表示幕がない時代の方向板は丸形のものを使用しており、淀屋橋~三条間が赤地に白文字、淀屋橋~樟葉間が白地に赤文字と区別していた。

準急

原則として昼間時間帯以外で運転されている。
淀屋橋~樟葉間の運行が主体だが、ラッシュ時には京阪間通しの列車が、早朝・深夜には淀発着列車もある。
昼間の一部時間帯に急行に変わって枚方市発着列車も運転される。
その列車は必ず守口市で普通に接続する。
平日昼間の枚方市発の準急は萱島で区間急行に接続する。
8両編成の運転もあるが、京阪間通しの列車は7両編成での運転である(中書島以遠の普通(準急)停車駅が7両編成までの対応のため)。
大阪近郊の中距離優等種別という位置づけで、主に複々線区間で通過運転を行い、その他の区間は各駅に停車するパターンとなっている。
なお守口市は早朝から朝ラッシュ時までの間通過する。
近年はラッシュ時を中心に京阪間通しの準急が増える傾向にある。
ただし2003年9月から2006年4月までは昼間でも京阪間通しの準急が運転されていた。

1980年代は、準急は淀屋橋~淀間のみ運転されており、全線通しの準急は設定されていなかった。
1989年のダイヤ改正で京都口の準急が登場したが、大阪方面からの準急は淀までの運転であり、1990年代は淀屋橋~樟葉間の準急が終日、夕方以降に出町柳~樟葉・淀間の準急が運転されるという状態であった。
2003年改正以降、中書島~出町柳間は各駅に停車に変更のうえ、淀屋橋~出町柳間の準急が設定されて今に至る。

また、平日夕方のラッシュ時には交野線直通の準急「ひこぼし」が運転されている。
この列車は交野線のホーム有効長の関係で5両編成で運転される。
毎年7月7日には七夕伝説にちなみ、臨時K特急の「おりひめ」を夕方に走らせ、私市駅で1年に一度だけ「おりひめ」と「ひこぼし」を出会わせるイベントが行われる。

方向幕の地色は青である。
6000系登場以前は、白地に青地であった。
また、方向板を使用していたときは、丸板で白地に青文字で準急(行き先は黒字)と書かれたものを使っていた(天満橋発着列車は黄色地に青文字で準急)。

区間急行

昼間時間帯は天満橋(一部は淀屋橋行き)~萱島間で運転される。
昼間運行の区間急行は淀屋橋行きを除き京橋で淀屋橋行きの普通に接続する。
ただ昼間運行の列車は平日と休日とでは利用客に大きな差がある。
そのために平日には8両編成の運用がある一方で、土休日は5両編成の運用が大半を占めるようになる。
守口市以東各駅に停車することで、大阪高速鉄道大阪モノレール線との乗り換え駅でありながら外側線(緩行線)にしかホームが無い門真市駅やその周辺の駅の速達・利便性を確保する役割を担っているほか、朝ラッシュ時には急行と準急が停車しない守口市を補完する役割も持ち、萱島発着を中心に枚方市・香里園・樟葉発着も運転される。
なお夕方以降は、以前は多く設定されていたが、ほとんどの列車が準急に格上げされ、かつ守口市駅への急行停車時間帯が拡大されたために、現行のダイヤでは少ない。
また、平日の22時以降の下りに関しては準急がなくなるために樟葉発着を中心に比較的多く運転される。
急行線の容量の関係上、朝ラッシュ時には全線外側線を走行する列車がある(守口市を朝8時台に発車する淀屋橋行き区間急行3本)。
前を走行する普通列車の速度に合わせて走るため守口市~京橋間の所要時間は急行線を走る区間急行より2~3分遅い。
なお運転士が使用する時刻表には淀駅まで記載されている。

方向幕の地色は緑色である。
長らく「区急」と略して表示されてきたが、2008年より中之島線対応で方向幕を交換した車両は「区間急行」と略さずに表示するようになった。
なお、前面の行先表示板を使用していた時代、区間急行は普通の板の行き先の下に赤字で「急」と書かれたものを使用していた時代があった(普通・区急が四角の板に対して、急行・準急は丸板であったので、区別はできた)。

普通

昼間時間帯の普通列車は淀屋橋~出町柳間の運転で、それ以外は淀屋橋~萱島・三条・出町柳間・淀~三条・出町柳間の運転が基本である。
昼間時は守口市で必ず急行(一部は準急)に、枚方市・丹波橋・三条で特急に連絡する。
朝夕は京都府側の区間列車も運転されている。
京都口の区間列車や京阪間通しの列車は7両か5両での運転である。
2006年4月16日に3年ぶりに昼間の出町柳直通(一部は三条発着・天満橋発着も運転)運転が復活した。
その一方で平日の夕方ラッシュ時の京都口の樟葉駅折り返しの区間列車が消滅し、一部列車は準急に系統統合されている。
また、2000年のダイヤ改正までは宇治線に直通する普通列車も存在していた。
この列車は配線の都合上、中書島で進行方向が変わっていた。
系統分割後は2003年のダイヤ改正まで中書島駅発着となった。

香里園以北での急行と普通の格差があまりないために2000年6月のダイヤ改正までは香里園から先は後続の急行に追い抜かれることはなかった(ただし枚方市と深草で特急の通過待ちを行っていた)。
また、現行の昼間ダイヤでも守口市で急行と緩急接続を行った後は、急行の終点である枚方市まで次の急行に追い抜かれずに先着する(下りは枚方市を出発後、守口市まで先着)。
同区間では大和田駅、森小路駅付近で特急に追い抜かれる。

平日朝ラッシュ時の上り列車の香里園行の1本は、後部2両を女学生・児童優先車両としている。

運転本数

昼間時の1時間毎の運転本数をまとめると、以下の通りになる。

淀屋橋~天満橋:特急6本、急行(準急)6本、普通6本

天満橋~萱島:特急6本、急行(準急)6本、区間急行6本、普通6本

萱島~枚方市:特急6本、急行(準急)6本、普通6本

枚方市~出町柳: 特急6本、普通6本

臨時列車・ダイヤ

京都競馬開催時の臨時列車

京都競馬場での競馬開催時には最寄駅となる淀駅まで準急(基本的に淀屋橋~樟葉間定期列車)が延長運転される。
2006年4月16日のダイヤ改正までは枚方市~淀間を延長される列車のうち枚方市~淀間で急行運転するものは「Gallop」(ギャロップ)として運転され、方向幕ヘッドマークも掲げられていた。
過去には「淀快速ターフィー号」として運転されていた(停車駅は淀屋橋、北浜、天満橋、京橋、守口市、淀)。
また京都方面へも三条行の臨時急行が運転されることもあった。
この臨時急行は「馬急(うまきゅう)」とも呼ばれ、行き先表示板を使用していた時代には蹄鉄が描かれたものを使用していた。
なお、2006年4月16日のダイヤ改正以降は臨時列車の本数は大幅に減ったものの、レースの規模によって復路のみ天満橋行・三条行の急行が運転されることがある。

過去には淀駅ホームに観戦帰りの客が殺到し、安全性確保のために通常は通過する特急が急遽臨時停車した例もあった。
また2003年9月の大幅ダイヤ改正直後の2003年10月~11月の日曜日(延べ4日)には「休日特別ダイヤ」を編成したことがあった。
このダイヤでは、朝夕に各種列車の増発が行われ、特に夕方(16~17時台)には10分当たり三条発天満橋行臨時特急1本、淀発天満橋行臨時急行1本、淀発淀屋橋行「Gallop」1本が増発され、定期列車と合わせて複線区間(淀~萱島間の下り)で10分間に片道5本(平均2分間隔)という朝ラッシュ時間帯並みの本数となった。
2004年には5月2日に1日だけ実施されたが、その後は実施されていない。

宇治快速

京阪宇治線宇治快速の項を参照のこと。

年末年始

正月三が日の初詣輸送には特に力を入れており、元日(厳密に言えば大晦日の夜間以降)から1月3日(年により1月5日)までは通常ダイヤとは全く異なる「正月ダイヤ」を組む。
年末から年始にかけて全列車とも京阪ホームページ上や広報誌「K-press」で公表されている。

大晦日の深夜から元日の朝にかけては、急行を10~20分間隔(普通列車は20分間隔で淀屋橋~三条間で運転。交野線、宇治線でも20分間隔で運転)で終夜運転(大みそかダイヤ)を実施する。
なお急行は昼間時の運転と同じ停車駅パターンとなる(守口市・枚方公園に停車)。
京阪線の終夜運転は関西圏でも運転頻度が多い部類に当たる。
それでも急行を中心に激しく混雑し、利用客から終夜運転の運転時間帯にも特急を走らせて欲しいという要望もある。
2007年度は急行・普通(運転区間は両方とも淀屋橋~出町柳)が15~20分間隔での運転となり、急行が減便されるものの、普通が出町柳まで延長される。

一方正月三が日では、昼間時のみ特急・急行・普通が10分間隔で運転される。
2006年度での実績は昼間は特急、急行が淀屋橋~出町柳間で運転され、普通列車は淀屋橋~三条間で運転された。
なお急行は枚方市駅で特急の待避を行っている。
なお朝間、夜間では特急の運転がなくなり通常時と比べると本数がやや少なくなるのも特色である。
過去に2003年以前は特急用の車両は予備車を含めてフル運用に入り、賄いきれなくなった運用に9000系電車が入る程度だった。
さらに9000系登場以前は一般車が特急の運用に入ることもあった。
一般車(6000系・7000系・7200系を除く)の運用の中には1983年までは真正面に特急のシンボルマーク(鳩マーク)を掲げて運転していたこともあった。
また増発の増発で特急が運転されることもあった。

五山送り火
大文字送り火のある8月16日は土曜日・日曜日にならない限りは原則として平日ダイヤの運転となる。
ただし夕方以降の急行(樟葉発着も含む)は出町柳まで運転される。
一方出町柳発着の普通の一部は三条での折り返し運転となる(これは出町柳発着に8両編成の列車を集約させるため)。
また2000以降はK特急、急行を中心に臨時列車が運転される。
出町柳駅の今出川口については混雑緩和などのために営業時間を延長(2130まで)する。

他にも祇園祭、宇治川花火大会、天神祭など沿線で大きな催し物がある場合は特に夜間を中心に臨時列車(または定期列車の運転区間延長)が運転される。
また行楽シーズンには淀屋橋・天満橋~三条・出町柳間に臨時特急が運転されることがある。
他線に比べて比較的臨時列車が多い路線だが近年臨時列車は減便傾向にある。
以前は名称が無い臨時列車にも「臨」のヘッドマークが掲げられていたが2003年9月改正以降はこのマークは臨時特急のみにしか掲げられていない。

大きなイベント開催時は夜間の特急・K特急が3ドア車(通常は2ドア車)に差し替えられることがある。

急行(区間運転のもの)

1938年より1969年まで、今日とは異なる区間運転の急行が深草・八幡町(現八幡市)・枚方市~淀屋橋間で運転されていた。

旧・区間急行

1938年の設定当時は天満橋~枚方東口(現・枚方市)で運行され、停車駅は蒲生(現・京橋)、門真(現在は廃止)、萱島、寝屋川(現・寝屋川市)、香里園、枚方(現・枚方公園)であった。
種別としては準急よりも下位であるが、当時準急停車駅であった守口(現・守口市)を通過していた点が特徴である。
戦争中にいったん廃止となり、戦後1947年に運行を再開している。
その後、1960年のダイヤ改正で、それまで運行されていた京橋~守口間通過の普通に統合される形で現在の区間急行となった。

A急行

一方、この区間急行とは別に、1952年にそれまで混雑時に天満橋~枚方市間で運行されていた急行を、枚方公園以北を各駅停車とする形で八幡町・深草まで延長した。
この急行は種別板が赤の縁取りで白地に赤文字で「急」と書かれていた(両サイドに行先を表記)。
この種別板は後年設定される樟葉始発の急行(ただし停車駅は全線通しの急行と同様)の種別板と同様のものであった。
準急との違いは豊野(1963年廃止)と光善寺を通過するか停車するかの違いのみであったため、1969年の京橋駅移転によるダイヤ改正により準急と統合して廃止された。
この区間運転の急行は当時の列車番号の頭部に「A」を付番していたため「A急行」とも呼ばれる。
1964年当時は朝ラッシュ最ピーク時に枚方市~淀屋橋間で(この時の区間急行は一部を除き香里園・萱島・守口市始発であった)、夕方以降に淀屋橋~八幡町(入庫列車は深草)系統を中心に運行していた。

京都口の準急

1989年9月27日から2003年9月5日まで運転されていた種別で夕方ラッシュ時・夜間を中心に運転されていた(運転区間は樟葉・淀~出町柳で停車駅は樟葉~中書島間の各駅・丹波橋・伏見稲荷・七条~出町柳間の各駅であった)。
2000年のダイヤ改正で夕方ラッシュ時の樟葉~出町柳間の列車は普通に格下げされた。
この列車の前身は三条から京阪宇治線に直通していた急行であり、その名残か5両編成での運転が多かった。
2003年9月6日のダイヤ改正以後は萱島以東で各駅に停車する1989年以前の形に戻っている。

なお、大阪方面からの準急は1937年の種別設定当時は枚方東口(現・枚方市)以東、戦後の運行再開後しばらくの間は中書島以東で通過駅があった。

奈良電気鉄道・近鉄京都線直通の急行・準急

1968年まで、丹波橋~三条間に奈良電気鉄道(1963年以降は近鉄京都線)直通の急行・準急が運転されていた(急行は近鉄統合後の設定)。
奈良電気鉄道・近鉄の車両が使用され、停車駅は急行・準急とも京阪間直通の急行と同一であった。
詳細は奈良電気鉄道京阪電気鉄道との直通運転を参照。

普通(通過駅あり)

1956年に、天満橋~三条間直通の普通列車については、当時の複々線区間である京橋~守口(現・守口市)間が通過となった。
この区間の各駅については、枚方市折り返しの普通列車が停車する形になっていた。
この二つの普通は案内の上では特に区別されず、どちらも「普通」であった。
1960年のダイヤ改正で、直通列車を全駅停車に、枚方市折り返し列車を京橋~守口間通過に入れ替えた上で、上記の「区間急行」と統合する形で区間急行に変更され、通過駅のある普通列車は消滅した。
部内では「直行」とも称された。

歴史

開業当初は適用法規(軌道条例、後に軌道法)の関係から京阪線の3分の1が併用軌道区間で、京街道の宿場を縫うように造られたためにカーブの多い路線であった。
併用軌道の専用軌道化、立体交差化などによる改良が重ねられ、現在も改良工事が計画(香里園から枚方市までの高架化計画が、国の2007年度予算で調査費が計上)されているが、110km/h走行が可能となった区間は京橋~守口市間の直線のみで、今もカーブは随所に残り、「京阪電気鉄道カーブ式会社」と揶揄されることもある。

京都・大阪側ともに開業時は中心部に駅を設けることができず、後に延伸を行っている。
このうち京都側の五条~三条間は京都市が京都市電用に取得した特許を利用して建設され、市から京阪が借り入れる形を取っていた(詳細は京阪60形電車の項目を参照)。
また、大阪側は本来高麗橋を起点とする予定が大阪市の圧力で天満橋に変更を余儀なくされ(市営モンロー主義の項目を参照)、それ以来中心部への乗り入れは京阪の悲願となる。
建設当初は阪神電気鉄道と共に大阪市電への乗り入れも計画していたが、車体規格の問題などで大阪市が難色を示しお流れとなった。
その後、戦前には新京阪線(後述)との総合ターミナル駅建設による梅田への乗り入れ計画も作られたが果たせず(京阪梅田線を参照)、開業から半世紀余りを経た1963年にようやく地下線で淀屋橋への乗り入れを果たした。

1910年4月1日が開業日となるはずであったが、守口変電所の故障などで開業が15日延期された。
ようやく開業にこぎつけた4月15日当日も車両故障が発生して始発電車から立ち往生する事態となり、当時の新聞にも酷評されるなど散々な目に遭った。
このため、18日までの3日間は運賃を半額にするという、今では考えられないサービスで汚名返上に努めた。

天満橋~五条(当時は現在の場所ではなく京都駅近くの塩小路)間の所要時間は開業当初1時間40分で、7月から1時間30分に、大正時代に入った1912年には1時間20分まで短縮した。
さらなる所要時間の短縮を狙い1914年には日本初となる急行電車の運転を開始した。
当初は深夜の運転で天満橋~五条間をノンストップで走り1時間で結ぶことに成功。
翌年からは日本で初めて日本の鉄道信号機を導入し、日中にも運転時間帯を拡大した。
三条延伸開業後は途中四条駅のみ停車となったが天満橋~三条間の所要時間は1時間で変わらなかった。
1916年からはこの急行を最急行に格上げし、主要駅停車の急行を新設した。
ただし、最急行は改称後4か月で廃止されている。
京阪特急前身の項目も参照のこと。

1927年にはロマンスカー京阪電気鉄道と称した京阪600形電車 (初代)を登場させ急行に使用した。
このため、「ロマンスカー」という名称を使用したのは、小田急電鉄ではなく京阪電鉄が最初となる。

京阪電鉄はその後、淀川右岸に京阪間を結ぶ高速鉄道を建設する計画を立てて、1922年に新京阪鉄道を設立した。
1928年に新京阪線(今の阪急京都本線)天神橋~西院間が開通すると、京阪間の直通客は新京阪線に任せて京阪本線は沿線利用中心という方針を採った。
このため昭和初期において同線には「京阪60形電車」を除いて特急と名の付く列車は設定されなかった。
だが、戦中に京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄(1973年に阪急電鉄と改称)に統合され、戦後の1949年にその京阪電気鉄道が新京阪線を京都本線と改称して阪急に残した形で再発足すると、それらとも争う形で再び京阪間直通客の獲得に乗り出し、特急が運転されるようになる。

なお終戦直後の1945年から1968年まで、奈良電気鉄道線(現在の近鉄京都線)との相互直通運転も行っていた。
奈良電気鉄道京阪電気鉄道との直通運転も参照のこと。

1978年に東福寺以南が軌道法に基づく軌道から当時の地方鉄道法に基づく地方鉄道に変更されたが、地下化工事が計画されていた東福寺~三条間は手続き上の便宜から軌道のままで残され、現在に至っている。
鴨川 (淀川水系)と琵琶湖疏水に挟まれていた場所を走っていた同区間は1987年に地下化された。
同年7月15日集中豪雨のため四条駅北側で鴨川へ流れこむ白川の堤防が仮設で決壊して川の水が地下線に流れ込み五条駅が浸水した。

また、京都市電・大阪市電との平面交差が4か所(京都の四条・七条・伏見稲荷と大阪の片町)に残っていたが、大阪市電とは1968年12月18日、京都市電とは1978年9月30日にそれぞれ市電路線が廃止されたことによって解消した。
架線電圧1500Vへの昇圧は1983年と大手私鉄の中でもかなり遅い部類に入る。
これは、上記の通り路面電車(いずれも架線電圧600V)との平面交差が残っていたことも影響している。

深草駅~藤森駅間にある師団街道第一軍道、第二軍道、第三軍道は、道路が京阪本線の線路を跨ぐ形の立体交差で、戦前の大日本帝国陸軍第16師団 (日本軍)の演習の支障を防ぐためのものであった(現在の陸上自衛隊の駐屯地は、郊外の京阪宇治線黄檗駅周辺や近鉄京都線大久保駅 (京都府)周辺に移転している)。

年表

1910年(明治43年)4月15日 天満橋~五条間が開業。

1910年(明治43年)6月20日 桃山駅開業。

1910年(明治43年)12月15日 光善寺駅開業。
京橋駅(初代、実際の京橋付近にあった)廃止。

1910年(明治43年)12月16日 稲荷駅を深草駅に、稲荷新道駅を稲荷駅に改称。

1913年(大正2年)4月26日 大仏前駅廃止。

1913年(大正2年)4月27日 七条駅開業。

1913年(大正2年)7月29日 桃山駅を丹波橋駅に改称。

1914年(大正3年)5月15日 最終列車としてノンストップの急行を運行開始。

1915年(大正4年)4月1日 日本で初めて色灯三位式自動閉塞信号機を導入。
朝夕の通勤時間に急行が2往復づつ運行開始。

1915年(大正4年)10月27日 五条駅~三条駅間延伸開業。
急行は四条駅に停車とする。

1915年(大正4年)11月11日 伏見駅を伏見桃山駅に改称。

1916年(大正5年)4月1日 従来の急行を最急行に改称、主要駅停車の急行を24分間隔で運行開始。

1916年(大正5年)8月1日 最急行を廃止。

1917年(大正6年)1月17日 深草車庫で火災1形車両15両、電動貨車など4両の19両焼失。

1918年(大正7年)3月1日 守口車庫開設。
網島車庫から移転。

1918年(大正7年)12月1日 塩小路駅旅客営業廃止。
貨物専用駅に。

1922年(大正11年)3月23日 寝屋川~香里間に運動場前駅開業。
当初は京阪グラウンドの催事のみ開設の臨時駅だった。

1922年(大正11年)11月12日 運動場前駅を常時開設の普通駅とする。

1924年(大正13年)10月1日 2両連結運転を開始。

1927年(昭和2年)5月3日 宇治川橋梁・木津川橋梁の架け替えを完了(旧橋梁は枚方大橋へ転用された)。

1928年(昭和3年)7月12日 樟葉~橋本間の併用軌道1.856kmを国道1号線改良工事に伴い専用軌道化。

1929年(昭和4年)5月25日 御殿山駅開業。

1930年(昭和5年)10月1日 香里駅に急行を停車。

1931年(昭和6年)7月21日 門真~萱島間の併用軌道3区間2.5kmと枚方公園~香里園間の併用軌道1.5kmなど7区間が専用軌道化された。

1931年(昭和6年)10月14日 蒲生(現在の京橋)~守口(現在の守口市)間(通称『野江の七曲がり』)を直線化し専用軌道化。
現在の野江~土居付近高架化。
野江駅、関目駅、新森小路駅、森小路駅、滝井駅開業。
旧線の野江駅、森小路駅廃止。

1931年(昭和6年)12月28日 森小路駅を森小路千林駅に改称。

1932年(昭和7年)3月30日 天満橋駅改築工事竣工使用開始。

1932年(昭和7年)6月14日 土居駅開業。

1932年(昭和7年)10月4日 大和田駅開業。

1932年(昭和7年)10月15日 京阪線のすべての車両のパンタグラフ化完了。

1932年(昭和7年)10月 蒲生駅を京橋駅近くに移転。

1933年(昭和8年)12月29日 蒲生信号所~守口間複々線化。
当時私鉄最長。

1934年(昭和9年)3月15日 天満橋駅~枚方東口駅間に区間急行を新設。

1934年(昭和9年)4月2日 京津線との直通列車「京阪60形電車」運転開始(戦時中消滅)。

1934年(昭和9年)6月1日 蒲生駅に急行を停車。

1934年(昭和9年)9月21日 室戸台風が関西を来襲、守口車庫の検車庫が破損など大きな被害を受ける。

1935年(昭和10年)6月29日 鴨川大水害、三条~七条間で路盤流失・プラットホームの倒壊などの大きな被害を受ける(これを契機に京阪本線を地下化する鴨川拡幅計画が策定される)。

1936年(昭和11年)4月1日 準急の運行を開始。
当時の停車駅は急行停車駅と守口・枚方・橋本・淀。

1938年(昭和13年)1月11日 夕方ラッシュ時に区間急行(現在とは停車駅が異なる)の運行を開始。

1938年(昭和13年)4月1日 香里駅を香里園駅に改称。

1938年(昭和13年)4月1日 3両連結運転開始(朝夕のラッシュ時)。

1939年(昭和14年)12月25日 八幡駅を石清水八幡宮前駅に、稲荷駅を稲荷神社前駅に改称。

1941年(昭和16年)9月1日 師団前駅を藤森駅に改称。

1942年(昭和17年)4月1日 新森小路駅を森小路駅に、森小路千林駅を千林駅に改称。

1943年(昭和18年)1月20日 運動場前駅を豊野駅に改称。

1943年(昭和18年)10月1日 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の路線となる。

1944年(昭和19年)2月5日 五条駅の急行停車を廃止。

1945年(昭和20年)6月7日 空襲で天満橋駅、天満橋運輸事務所、同保線事務所が全焼。

1945年(昭和20年)6月26日 空襲で滝井駅付近の線路が被災。

1945年(昭和20年)8月14日 空襲で野田橋駅が全焼。

1945年(昭和20年)9月15日 土居駅、鳥羽街道駅、五条駅休止。

1945年(昭和20年)12月21日 奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)の電車が丹波橋駅から三条駅まで乗り入れ開始。

1946年(昭和21年)2月15日 戦争末期に運行を中止した急行の運行を再開。
20分間隔で三条~天満橋間82分。

1946年(昭和21年)5月3日 五条駅営業再開。

1946年(昭和21年)5月11日 鳥羽街道駅営業再開。

1946年(昭和21年)7月 戦災復旧工事が終了。

1947年(昭和22年)4月1日 京阪線の電車も丹波橋駅から奈良電気鉄道京都駅まで乗り入れ開始。
宇治~奈良電京都間1両編成で30分毎。
急行が三条~天満橋間79分に短縮、15分間隔に増発。

1947年(昭和22年)4月12日 土居駅営業再開。

1948年(昭和23年)1月1日 石清水八幡宮前駅を八幡町駅に、稲荷神社前駅を伏見稲荷駅に改称。

1949年(昭和24年)10月1日 蒲生駅を京橋駅に、枚方駅を枚方公園駅に、枚方東口駅を枚方市駅に改称。

1949年(昭和24年)12月1日 会社分離により京阪電気鉄道京阪本線となる。

1950年(昭和25年)7月1日 ダイヤ改正。
急行の三条~天満橋間が59分と戦争前の所要時間に回復。

1950年(昭和25年)9月1日 天満橋~三条間で特急の運転を開始、所要時間53分、朝の下り2本と夕方の上り2本のみ(日曜・祝日は運休)。
京橋、七条、四条に停車。
この停車駅は約50年間変わらず。

1951年(昭和26年)4月2日 特急の終日運転開始。

1951年(昭和26年)4月26日 4両連結運転開始。

1951年(昭和26年)8月20日 寝屋川駅を寝屋川市駅に改称。

1952年(昭和27年)5月1日 大和田駅待避線新設、線路改良の完成や、新型車投入などにより、ダイヤ改正。
特急の所要時間を48分に短縮。
併せて増発も実施し、特急は昼間は30分間隔での運転となる。

1952年(昭和27年)6月23日 天満橋~枚方市間の急行を八幡町までの各駅に停車する形で延長したA急行の運行を開始。

1952年(昭和27年)7月17日 特急に「鳩マーク」取り付け。

1953年(昭和28年)5月10日 特急は終日20分間隔での運転となる。

1953年(昭和28年)9月25日 台風13号が関西を襲い、中書島~八幡間で宇治川堤防決壊、築堤流失などで不通(10月1日仮復旧)。

1954年(昭和29年)4月12日 香里園の聖母女学院生徒用専用列車の運転開始。

1954年(昭和29年)11月30日 天満橋~野田橋間0.762kmの併用軌道を専用軌道に移設。
京阪本線が全線専用軌道となる。

1955年(昭和30年)1月1日 野田橋駅を片町駅に改称。

1955年(昭和30年)6月25日 天満橋~塩小路間の貨物営業を廃止、(貨)塩小路駅廃止。

1956年(昭和31年)3月21日 特急の所要時間を42分に短縮。
天満橋~三条直通の普通の京橋~守口間を通過とする。

1956年(昭和31年)3月21日 5両連結運転開始(特急車)。

1957年(昭和32年)3月6日 電車としては日本初の空気バネ台車つき車両・営業運転開始(1759号車)。

1958年(昭和33年)11月17日 6両連結運転開始(天満橋-枚方市間の急行)。

1958年(昭和33年)12月1日 萱島~寝屋川市間に寝屋川信号所開設。
萱島車庫(現・寝屋川車庫)開設に伴う入出庫線が分岐。

1960年(昭和35年)3月28日 ダイヤ改正。
現在の区間急行の運転を開始。
日中は電車電車の限定運用とする(天満橋~枚方市間、昼間20分間隔)。

1960年(昭和35年)11月28日 淀屋橋~天満橋間の地下線の起工式・着工。

1961年(昭和36年)12月1日 枚方公園駅に日中の急行停車を開始。

1962年(昭和37年)12月22日 京阪で初めて自動券売機が京橋駅・天満橋駅に設置される。

1963年(昭和38年)4月16日 淀屋橋~天満橋間が地下線で延伸開業。
特急は淀屋橋~三条間45分運転。

1963年(昭和38年)5月15日 寝屋川市駅を現在地に移設。
香里園駅の橋上駅舎と待避線完成。
寝屋川市~香里園間の豊野駅廃止。

1964年(昭和39年)6月1日 萱島車庫を寝屋川車庫に改称。

1966年(昭和41年)8月3日 蒲生信号所で淀屋橋行き普通列車に淀屋橋行き急行列車が追突する事故が発生(日本の鉄道事故 (1950年から1999年)京阪電鉄蒲生信号所列車衝突事故)。
51名負傷。
急行列車運転士の赤信号見落としが原因。
これをきっかけに自動列車停止装置導入が図られた。

1967年(昭和42年)8月1日 淀屋橋~大和田間(複々線区間の緩行線を除く)にATS地上設備設置完了、特急列車がATS使用開始。
関西私鉄初ATS設置。

1967年(昭和42年)9月28日 大和田~三条間・複々線区間の緩行線にATS地上設備設置完了。

1967年(昭和42年)12月11日 朝夕のラッシュ時に7両編成運転を開始。

1968年(昭和43年)9月12日 京阪本線全列車にATS完備。

1968年(昭和43年)2月21日 天満橋~野江間、高架複々線建設事業起工式。

1968年(昭和43年)12月18日 片町駅の大阪市電との平面交差、市電の廃止により消滅。

1968年(昭和43年)12月20日 丹波橋駅での近鉄京都線との相互乗り入れを廃止。
近鉄・京阪の列車本数の増加・近鉄京都線の1500V昇圧化(1969年実施)・ATSのシステムの違いなどのため。

1969年(昭和44年)11月26日 牧野駅南側の線路を高架化、移設。

1969年(昭和44年)11月30日 天満橋~野江間経路変更。
京橋駅移転・高架化。
天満橋~京橋間の片町駅廃止(区間急行以下の停車駅)。
A急行を準急に統合の上廃止。

1970年(昭和45年)10月1日 蒲生信号所廃止。

1970年(昭和45年)11月1日 天満橋~(旧)蒲生信号所間(3.4km)が複々線化。
寝屋川市に昼間時のみ急行が停車。

1971年(昭和46年)6月20日 守口駅を守口市駅に改称。
新門真駅開業、新門真駅に区間急行停車。
樟葉駅付近の線路を移設、待避線・留置線を持つ新・樟葉駅供用開始。
樟葉駅に急行を停車、京阪初の自動改札機を設置。

1971年(昭和46年)8月15日 白紙ダイヤ改正。
昼間の運転間隔を20分から15分に変更(昼間15分間隔ダイヤは2003年まで32年間続いた)。
新門真駅の開業(待避線あり)や樟葉駅付近(待避線新設)などの改良工事完成により、昼間の特急の運転間隔を20分から15分に短縮。

1972年(昭和47年)2月2日 守口工場の設備を寝屋川車庫構内に移転、寝屋川工場とする。
守口工場は廃止。

1972年(昭和47年)11月28日 土居~寝屋川信号所間(5.8km)高架複々線工事起工式。

1975年(昭和50年)3月23日 新門真駅を門真市駅に改称。
守口市~門真市間の門真駅を廃止し西三荘駅開業。
西三荘に区間急行を停車(門真廃止による代替)。

1976年(昭和51年)9月12日 守口市~門真市間(1.8km)が高架・複々線化。

1976年(昭和51年)11月20日 京阪初めて駅に点字ブロック設置(香里園駅)。

1977年(昭和52年)11月1日 八幡町駅を八幡市駅に改称。

1978年(昭和53年)3月10日 淀屋橋~東福寺間を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更。

1978年(昭和53年)7月30日 門真市~寝屋川信号所間が複線高架化。

1979年(昭和54年)3月20日 東福寺~三条間(2.8km)地下化工事起工式。

1980年(昭和55年)2月3日 門真市~寝屋川信号所間の京都行き2線化。

1980年(昭和55年)2月20日 枚方市~御殿山間で三条行き急行列車(5554F)のうち前から3両が脱線、そのうちの先頭車は転覆し線路脇の民家に突っ込む。
104名負傷。
原因は中学生5人による置石。
以後、沿線にフェンスが張られるようになる(日本の鉄道事故 (1950年から1999年)京阪電気鉄道置石脱線事故)。

1980年(昭和55年)3月10日 淀車庫第1期工事完成使用開始(留置両数62両)。
検車業務は17日より。

1980年(昭和55年)3月16日 門真市~寝屋川信号所間が複々線化。
再び複々線区間が日本の私鉄最長に(12km・1997年まで)。

1980年(昭和55年)3月17日 深草車庫廃止。
以後は留置線として使用されたが東側の留置線1本を残し撤去された。

1980年(昭和55年)3月23日 複々線化に伴うダイヤ改正実施。
準急が萱島に終日停車。
急行・準急が守口市に昼間時停車。
寝屋川市を正式な急行停車駅に格上げ。

1981年(昭和56年)2月8日 京阪線全駅に黄色の点字ブロックを設置を完了。

1982年(昭和57年)3月29日 守口市駅付近高架化。
これにより淀屋橋~寝屋川信号所間(14.1km)の立体交差化完成(工事の竣工は8月)。

1983年(昭和58年)11月3日 淀車庫第2期工事完成(留置両数138両に増加)。

1983年(昭和58年)12月4日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
最高速度を105km/hから110km/hに向上。

1985年(昭和60年)4月22日 ダイヤ改正、朝夕のラッシュ時に淀屋橋~樟葉間で8両編成の急行が運転開始。

1985年(昭和60年)5月 木津川橋梁の補強工事竣工。

1987年(昭和62年)5月24日 七条(※)~三条間が地下化。

1987年(昭和62年)6月1日 ダイヤ改正、急行から8両編成での運転区間が全線に拡大。

1987年(昭和62年)7月15日 未明に発生した集中豪雨による京都地下線で浸水事故発生、流れ込んだ水が最深部の五条駅のホームの高さまで浸水。
七条~三条間終日運休、翌日始発より運転再開。

1987年(昭和62年)12月10日 自律分散式列車運行管理システム (ADEC) 全面使用開始。

1988年(昭和63年)9月1日 地下線の7駅(三条・四条・五条・七条・天満橋・北浜・淀屋橋)で「終日禁煙」を実施。

1989年(平成元年)4月1日 「国際花と緑の博覧会」への広報協力として「花号」「緑号」「水号」を運行(翌年9月まで)。

1989年(平成元年)9月27日 ダイヤ改正、五条駅の急行停車を45年ぶりに復活。

この時のダイヤ改正は鴨東線開業に向けたダイヤ改正であり、出町柳までの列車に関しては同線開業日の10月5日の午前中まで三条~出町柳間が試運転扱いだった。

1989年(平成元年)10月1日 プリペードカード「Kカード」を導入使用開始。

1989年(平成元年)10月5日 鴨東線と直通運転開始。

1990年(平成2年)3月24日 枚方市駅付近高架化(交野線含めた全面完成は1993年3月25日)。

1993年(平成5年)1月27日 野江駅~土居駅間の6駅、8両編成化対応のホーム延長工事が完成。

1993年(平成5年)1月30日 ダイヤ改正。
平日朝のラッシュ時に淀屋橋行き特急6本が中書島駅停車。

1994年(平成6年)5月1日 全駅で「終日禁煙」を実施。

1995年(平成7年)1月17日 阪神・淡路大震災発生、一時運転見合わせ(特急は終日運休)。

1995年(平成7年)10月21日 京阪線全駅(鴨東線・宇治線・交野線も含む)の自動改札化が完了。

1996年(平成8年)9月 京橋第1第2高架橋の橋脚16本の耐震補強竣工。

1996年(平成8年)11月16日 八幡市~淀間の淀車庫付近高架化(車庫は地上のまま)。

1997年(平成9年)3月22日 ダイヤ改正。
平日朝のラッシュ時の淀屋橋行き特急6本が中書島駅に加えて枚方市駅に停車。

1997年(平成9年)4月25日 京都市内の地下線、京都府「福祉のまちづくり百選」に選ばれる。

1997年(平成9年)11月28日 淀車庫第3期工事(京阪本線の南側への拡張工事)竣工。

1997年(平成9年)12月19日 京阪線全駅に「車イス用渡し板」を配備。

1999年(平成11年)4月1日 京阪線で「スルッとKANSAI」対応カードが利用可能になる。

1999年(平成11年)11月20日 寝屋川市駅付近高架化、淀屋橋駅~寝屋川市の田井踏切までの15.3kmが完全立体交差化された。

2000年(平成12年)7月1日 ダイヤ改正。
宇治線宇治駅 (京阪)~京阪本線三条間直通列車を平日朝の三条行きの2本を残して廃止。
丹波橋駅・中書島駅に終日特急停車。

2002年(平成14年)3月31日 寝屋川信号所~寝屋川市駅京都側までの高架工事竣工。

2002年(平成14年)12月2日 朝のラッシュ時出町柳発淀屋橋行き特急8本に女性専用車導入。

2003年(平成15年)9月6日 白紙ダイヤ改正。
昼間の運転間隔を15分から10分に変更し、大阪側では昼間に特急6本・準急12本・普通6本の運転体系とする。
宇治線宇治~京阪本線三条間直通列車を完全廃止。
平日に交野線直通のK特急「おりひめ」(朝の下りのみ)、準急「ひこぼし」(夕方の上りのみ)が運転開始。

2004年(平成16年)8月1日 PiTaPa導入。

2006年(平成18年)4月16日 中之島線建設工事に伴い天満橋駅の線路を切り替え。
淀駅が一部移転。
昼間の天満橋駅始終着の列車が復活。

2007年(平成19年)6月17日 京阪線の列車運行管理システムを更新。

2008年(平成20年)10月19日 中之島線開業に伴いダイヤ改正予定。
同線と直通運転開始。
併せて京都市営地下鉄烏丸線に同名の駅がある五条駅を清水五条駅に、四条駅を祇園四条駅に改称予定。

※地下区間始点は東福寺~七条間・京都市東山区一橋野本町付近

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