瑞龍寺 (近江八幡市) (Zuiryu-ji Temple (Omihachiman City))

瑞龍寺(ずいりゅうじ)は滋賀県近江八幡市の八幡山山頂にある仏教寺院。
尼寺である。
宗派は日蓮宗。
開基は豊臣秀吉の姉・日秀(俗名「智」)。
村雲瑞龍寺。

沿革
智(とも)は子供のない弟・秀吉に長男の豊臣秀次を養子として出していた。
しかし、文禄5年(1596年)、秀次は切腹を命じられ、秀次の妻子も三条大橋で処刑、夫の三好吉房も流刑となった。
唯一残された智は処刑された子や孫の菩提を弔うために出家した。
彼女は、以前から帰依していた日蓮宗による寺院を嵯峨 (京都市)の村雲(現在の二尊院の近く)という場所に開いたのである。
このときに村雲の寺地と「瑞龍寺」の寺号、寺領1000石を与えたのが後陽成天皇である。
このため瑞龍寺は日蓮宗寺院では唯一の門跡寺院となり、別名を「村雲御所」と称するようになる。
以後、代々皇女や公家の娘を貫首として迎えたのである。
江戸時代には嵯峨から西陣(現在の堀川通今出川通付近)に移転する。

昭和になって衰微した瑞龍寺は11世門跡・九条日浄尼代の昭和36年(1961年)に豊臣秀次ゆかりの八幡山城本丸跡への移転を行なうが完成を見ず遷化した。
その後昭和43年(1968年)に入山したのが、小笠原氏出身の12世門跡・日英尼である。
家庭の不幸から出家に追い込まれた日英尼は以後の生涯を瑞龍寺の再興に捧げた。

その後を嗣いだのが宝塚歌劇団卒業生であった桜緋紗子こと日鳳(英法)尼である。
13世門跡となった日鳳尼は平成14年(2002年)3月20日に89歳で遷化するまで瑞龍寺の復興に寄与した。

現在の門跡は14世鷲津日澄尼。

供養

豊臣秀次の命日の7月15日には、瑞龍寺住職により、八幡山で供養が行われる。
なお秀次の首塚と日秀の墓は、京都の善正寺 (京都市)にある。
秀次の幼児妻妾たち三十九人、賜死した家臣十人の墓と秀次の五輪の塔が京都の瑞泉寺 (京都市)にある。
また秀次が切腹した高野山には秀次の墓所がある。

寺観
京都から移転したときに移築された本堂などが残っている。
ここから望む近江八幡市や琵琶湖の景観は絶景といわれる。

住所
滋賀県近江八幡市宮内町19-9
山上まではロープウェーが通じている。
拝観料\300。
拝観時間900-1700。

[English Translation]