黄梅院 (京都市) (Obai-in Temple)

黄梅院(おうばいいん)は京都府京都市北区 (京都市)紫野にある、臨済宗大本山大徳寺の塔頭(たっちゅう)である。
通常は公開されていない。

歴史

永禄5年(1562年)に織田信長が初めて入洛した際に父・信秀の追善菩提のために羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に命じて黄梅庵を建立した。
天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が急逝すると秀吉は黄梅庵を改築するが、主君の塔所(墓所)としては規模が小さすぎるという理由で信長の法名・総見院殿の名を採り、大徳寺内に別に総見院を建立した。
その後、天正14年(1586年)に秀吉により本堂・唐門が、天正17年(1589年)に鐘楼・客殿・庫裏などが小早川隆景(こばやかわたかかげ)により改修され黄梅院と改められた。

建造物

本堂(重要文化財)
天正14年(1586年)に豊臣秀吉の援助により建立された本瓦葺・入母屋造の建物で、禅宗特有の特徴がよくみられる。
昭和52年(1977年)に約400年ぶりに解体修理が行われた。
内部の襖絵(重要文化財)は雪舟の画風を継承した毛利家・御用絵師である雲谷等顔(うんこくとうがん)筆で、室中の「竹林七賢図」や檀那の間の「西湖図」など44面が残る。

書院・自休軒(じきゅうけん)
大徳寺を開いた宗峰妙超の遺墨「自休」を扁額に懸けて軒名としたもので、千利休の師・武野紹鴎(たけのじょうおう)作と伝わる昨夢軒(さくむけん)という4畳半の茶室がある。

庫裏(重要文化財)
天正17年(1589年)に小早川隆景の寄進によって建立された切妻造・板葺の建物で、日本で現存最古の禅宗寺院の庫裏とされ、禅宗寺院の生活様式を今に伝える。

唐門(重要文化財)
本堂と同時期に秀吉により建立される。

表門
庫裏と同じく小早川隆景により建立されたもので、平成17年(2005年)に修理された。

鐘楼
梵鐘は天正19年(1592年)に加藤清正により寄進されたもので、朝鮮伝来のものと伝わる。

庭園

直中庭(じきちゅうてい)
千利休62歳の時に作られた苔一面の枯山水庭園で、豊臣秀吉の希望による瓢箪を象った池を手前に配し、加藤清正が持ち帰った朝鮮灯籠が据えられている。

破頭庭(はとうてい)
本堂の前庭にあたる簡素な庭で、天正年間に作られたといわれる。

作仏庭(さくぶつてい)
本堂の北裏側にある庭で、生々流転(せいせいるてん)を表しているという。

アクセス

JR京都駅より京都市営バス・大徳寺前(約30分)下車、徒歩

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